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「蒼天はすでに死す」は寒冷化に対する当時の宗教的解釈と見るべきかもしれませんね
ローマ「冷えてるか~?」中華「バッチェ冷えてますよ~」
@user-qx5fr9co1k中華「あっそうだ(唐突)、オイ匈奴!お前さっき俺らが内乱してるときチラチラ見てただろ(因縁)」
一月の北京に行ったことがあります。今の冬の華北でもすごく寒いのに、この頃の冬はとんでもない寒さで人がバタバタ死んでいったんでしょうねえ
歴史を考察するときに政治・国際関係・戦役・人物が表に出やすいけど、経済や地理が背景にあるわけで.農業が生産の中心であった古代・中世では、寒冷化→食料生産の低下→飢餓の発生→流民の発生だから重要なテーマだよね。逆にいえば、食わせてやれる群雄が生き残ったともいえる.孫呉と南朝で南方開発が進んだのもこの時代か。
歴史が動くきっかけは、やはり「おい、飯ないぞ。」は共通項。 じゃりン子チエ、不幸の法則、ひもじい、寒い、もう死にたい。死ぬくらいなら戦おう、人間考える事は同じやなぁと思って視聴してました。面白かったです。
繊維質のものを混ぜて氷を作るとパイクリートという溶けにくく固い氷になるそうですよ身近なもので言うとあずきバーがそれだとか
その時代の気温などの環境って教科書的なものには詳しく載ってないので…こういった情報があるとその時代や人の行動の原因が理解しやすくなるので助かります🙏
日本も戦国時代は寒冷だったと言われているよ。気候のほかに人口もあまり言われていないが注目している。ローマと漢は人口5000万とか、日本だと縄文30万、奈良300万、江戸3000万…(よく政府が「日本は初の人口減少」とかいうが正確には3度目(初回平安、2回目江戸末期))とか面白い。
江戸時代も、夏に雪降ったような記録すらあるとか聞きますね。
これまでも載ってなかったわけではないんだけど(ゲルマン人の大移動、17世紀の危機など)、これからの教科書は特に重視されるでしょうね。明の滅亡(1644)と寛永の大飢饉(1642-3)が同時期なのは寒冷化のためで連動しているんですよ、みたいな。
洋の東西で古代文明が同時期に危機に至ったというのは面白いですね。三国時代の人口の大激減も戦乱だけでなくやはりかなり寒冷化に負うことが大きかったのでしょうか。
何度か訪れた寒冷期は世界史を大きく動かしますよね。中国史においての事例を紹介してくださってありがとうございました。ただ飢饉が起きたなどではなく、その環境で人々がどう工夫し寒冷化に対応していったかのお話はとっても面白かったです!
理系で環境学も勉強している身ですが、(毎回鳥人間さんの勉強量には頭が下がりますが)今回は特にいろいろな示唆をいただいたと思います。元来漢文は得意でしたが、魏晋南北朝期の気候変動について、さらに調べてみようと思いました本当にありがとうございます次は石勒お願いします
普通に学術論文か書籍出せそうなテーマでおもしろかった(小浪)飯回とか塩回といった人物じゃない中国史大好きなのでこのシリーズ調べるの大変だろうけどもっと続いて!
もう既にそういう研究 論文は中国にあったりしてだからこそ鳥人間さんの動画を見ることができるのではと思う
有料コンテンツに相応しい、マニアックでありながら学びの多い動画でした。是非シリーズ化希望です。
この頃ローマの方ではゲルマン民族の大移動でしたよね、やはり繋がってるんだなぁ。
コーエーの三国志無印では、比較的暖かい交州でも冬場に武将とともに兵士を移動させると兵士が死んで兵員が減少した。
コミュニティ入ってよかったと思える素晴らしい回でした曹操はずっと兵糧不足に悩まされている印象ありましたが、絶対的に食糧生産力不足していたんだろうなあ、と卑弥呼が出る前の日本が荒れていたのも気候が一因だったりと想像しています
いつも質の高い動画をありがとうございます。楽しく拝見しております。以前、TVで、三国志の「蒼天~黄天~」について、当時NZの火山噴火が原因で実際に中国の空が黄色かった、という気象学者のお話を聞いて、感動しました。それ以降、天災・気候変動の観点からの歴史解説があるともっと楽しそう、と常々思っておりましたので、今回のテーマはとても興味深く拝見いたしました。もし他にもあれば、また紹介していただけると嬉しいです。
酒とか味噌の仕込みが何故冬なのか。ここで見られるとは思わなかった。温暖化が進みつつある昨今、正反対とも見える動画だけれど、学べる事は少なくない筈。今回も身の詰まった動画に学ばせて頂きました。
個別の人物伝ではない内容ですが、かえって市井の人間の生の生活が見えてくるようで非常に興味深く拝見しました。とても面白かったです。
何か×中国史 という多様化の試みに参加できて光栄です!今回の内容もとても楽しかったです!今後もX中国史に期待しております!
同じ食品の製造時期で気温の差異が推測できるっていうのは面白いな。
日本でも弥生中〜和時代は『寒冷化で自然の食料が少なくなくなり(大型の動物が減ったり絶滅し)、自活する手段が必要になった。』『海岸線が大幅に後退し、低湿地や平野が広がったことで、水田稲作の環境が整った。』などで農耕が広まったという話があるようなので、食糧事情は太古 から人類を動かしますね。
面白かった。1つの視点から広い地域長い期間を見る。この試みはありというか素晴らしいと思います。いつかは食、特に調味料や味付けの変遷。人々の髪型服装などの変遷。日本の丁髷に並ぶ世界の奇想ヘアスタイルである弁髪と髭や女性のスタイルについても見たいす。まあお願いはしつつま本年又密着追走麗美丈夫
漢末魏晋南北朝初心者にありがたや。この時代、いろんなアプローチできて面白いですね
実に興味深いテーマでした。魏に比べ、面積・人口で大きく劣っていたはずの呉や蜀が魏に対抗出来たのは、自然の要害に守られた地勢であったことに加え、比較的寒冷化の影響が少なく、経済的に対抗出来ていたからなのでは、という推察もできますね。黄河に対して、長江には凍結の記録はなかったですよね。
三国志、曹操、ヒエヒエと言えば氷城とか冷食禁止令が思い浮かぶ。
この観点からは注目です。今も昔も世の乱れは食から
中国の人口史動画とも照らし合わせるとより面白いですねおそらくは先行する後漢の時代から既に寒冷化に伴う生産力の低下がみられていたのでしょうが南方の生産力のウェイトが高まっていく契機でもあったのでしょうね
紙が一般人の手に届くようになってきたのもこの寒冷化が終わった後ですよね。(安いとは言いませんが)寒冷化→不安定化→知識層が育たない→紙の需要も上がらないみたいな玉突き事故があったりしたんでしょうかね?
こんばんは。やっぱサッカー好きな鳥人間さん、今日はロドリで来ましたか。U16ユース時代からずっとスペイン代表ですね。まさにスペインのエースだな。そう言えば三国志関連の書物にはやたらと凶作って出てくるよね。ほぼ冷害による飢饉だけど。やっぱ気候的に厳しい時代だったんだなと。うん、やっぱ人間って対応力があるもんだね。寒いなら寒いでなんとかしようとするもんね。昔の人はホントすごいね。振り返れば日本も平安時代初期は温暖だったけど平安終わりあたりから寒くなって明治の始めまで寒かったらしいね。気候だけは人間の力ではどうにもなりませんな。
アシで氷橋を作るってなんか聞いたことあるなぁ、と思ったらあれだ金田一少年だ……
スガバシっすね。
30年くらい前の作品とはいえトリックネタバレで藁
夜叉のやつだっけ?
金田一は縄じゃなかった?
な、懐かしい😂
環境から人間の歴史を見るのは凄く興味深いです!!人間が争うには必ず火種があるもんですし、人間じゃどうしようもない自然の変異が人間の行動にどう影響して戦乱へ掻き立てるのかという視点は人間の脆弱さを顕にしますね
非常に良いテーマでした❣茂木誠先生の『ジオ・ヒストリア 世界史上の偶然は、地球規模の必然だった!』を読んでいますが、環境の変化が世界史にどういう影響を与えたのか?を考えると非常に学びも深まりますね!
寒さには頑張って工夫しないといけないから北方の民族は強くなったんですね。南方はうまくすると農耕すらしなくても集落の周りの森で全部採集できる。気候
ゲルマン民族大移動や倭国大乱も寒冷化がもたらしたものなんだろうなぁと、ここの視聴者はみんな思ってるかにしても曹操、誰だったかがいってたけど曹操の逸話や伝承は人として優しさや情の厚さが端々に見えてくるこれは並び評される劉備や孫一族にはあまり見られないことだ、とかうっかり戻ってきた住民に怒り以上の可笑しみを感じ、なんか理由付けして助けてやろうとしたんだろうなぁ
麦畑にうっかり不法侵入のやらかしをした時は、ちゃんと自分が立憲した事と魏の君主本人なので死ねないのを分かりきった上で、死同等の重さの髻切りの刑を自分に科す位には筋通してますからね。
曹操は徐州民大虐殺をやってしまったのが当時相当インパクトあったそうで、それが後の悪評につながってますね。
劉備も結構人情的なエピソードも多いと思う。記述の少ない蜀なのに結構出てくる。
特定のテーマでの深掘りはいいですね。歴史上の事象の背景や意義の考察に参加できる。味があります。
モンゴル帝国の騎兵たちも凍った川の上を移動したけど、都市もだいたい川沿いに作られるので速度が異常に速いんですよね
温暖化も寒冷化も、それ以前の気候で生活を営んでいた人々にとってはとんでもない問題ですよね。曹操軍のアドバンテージに、寒冷慣れしていた北方異民族を多く取り込んでいたからということもあるというのには、膝を打ちました。暖地育ちの母方の祖父が中国東北部の冬の死の彷徨から無事生還したのは、部下さん全員が寒冷豪雪地で徴兵編成された部隊だった・そして退却時(おそらく敗北壊走に近い頃と思われ)には祖父は全面的に部下さんの指示に従って下がってきたからだと聞いておりますし…。暖地育ちの父方の祖父母しかも3人の子連れが満州から白頭山の麓を抜け徒歩で釜山まで(地図で見るとすごい距離。当時3歳の父が端渓の硯と蟋蟀の虫籠背負って歩き通したとは信じられん)着いて引揚船に乗れたのも、中朝国境付近出身の使用人のおばあさんがソウルの南あたりまで同行して助けてくれたかららしいですし…。慣れから身についた生活の知恵というのは、本当にアドバンテージだなと思います。
さりげなく曹操礼賛してくれるのいいゾ〜これ
メチャクチャ面白かったです。歴史と分子生物学や遺伝学、物理学、気象学、地学など、学際的なところは、網羅的な知識が必要とされるので、論を打ち立てるのは大変ですが、どれも大変面白いものです。
うおおおお氷橋!!うおおおおおお!!冷え冷えがテーマなら最初のダジャレは氷結界の龍 鳥シューラ人間とかにして欲しかったなぁw
発酵食品からこうきますか、面白かったです
発酵食品を 作る時期にまで 注目する なんて 神すぎる!
やっぱり大寒期になると大戦乱になるんですね。日本の戦国時代も寒冷期が最大の原因だったと漫画「センゴク桶狭間戦記」で知りましたし、フランス革命も火山噴火による地球規模の寒波が影響してるそうですし。
これすっごい興味深くて面白かった。素人じゃわからないもんなぁ。凄いや
とても興味深い史実を共有頂き、誠に有難うございます。租庸調の調において布・絹などを税として取り扱っていた背景も寒冷化があったのではないかと思いますし、自分の中で色々なことが繋がる動画でした。
人物史は飽きてきたのでこのような社会史、環境史は新しくて面白いです。
これだけ北方の寒冷地での戦いが過酷でそれに対応する戦いをしてきた軍勢が南方で戦うのは我々が想像している以上に大変だったんだろうと改めて思いました。東晋が割と長く命脈を保っていられたのはそうした事情もあったのだろうなと。
陸続きの国ではヴェトナムだけがモンゴル帝国に勝ったのと同じ理由ですよね。米軍も勝てなかった湿地ジャングルでのゲリラ戦略で。
秀吉の朝鮮出兵では九州の兵を極寒の朝鮮半島に送り込んでるし。三人に一人は生きて帰れず。
凍った 黄河に 苦戦する 曹操と、葦で 氷を作る 騎馬民族の 対比は 秀逸!
魏晋南北朝時代つながりで「中国史を変えた戦い」かつ「なんでこうなった大賞・戦部門」トップ5入りしそうな「淝水の戦い」をぜひ取り上げてほしいです。以前の動画だと単体か謝玄と一緒に紹介する~とおっしゃっていて、駆け足で終わってしまったので…よろしくお願い致します。こういうテーマは出来事を多面的に見なければいけないので、制作が大変だと思いますが、とても面白かったです。UPありがとうございます。
後漢末期って寒冷期だったんですね~。だから冬に兵を移動するとやたら減るのか(三国志脳)。遊牧民の動きも含め、気候も含めてみると面白いですね!
〇〇曰く「寒さで多くの兵がタヒぬでしょう」
歴史というのは、政治や軍事で動くと考えがちだけど、よくよく見ると自然現象の影響も大きいんですよねそういう話は真新しいし楽しいです
9:00六世紀はむしろクラカタウ火山の大噴火による地球の寒冷化が始まった時期と聞いていたんですが、河北では寒冷期の終わりになっていたんですねこの差はなんでなんだろう
孫権の呉から始まった南朝の時代は揚子江以南が大いに開拓された。やはり少しでも暖かい地方で農業を拡大しようという動機があった。この時期の耕作地の拡大で揚子江流域は後代中国の穀倉になっている。
さすが曹公、他の群雄とは一味も二味も違いますね。私も曹操が好きです。三国志演義で屯田制?と思っていましたが、寒冷化で流民化した人々を賄える制度を確立出来れば、他の群雄に優位に立てるどころか、圧倒出来ると考える、合理的な思慮深さ、凄いですね。鳥人間様も、寒さに気をつけて下さい。動画面白かったです。
やはりこの混乱の時代は環境変化と無縁ではなかったのですね。ジャレッドダイヤモンドやピーターフランコパンが自然科学と融合した歴史学を作り出していますが、中国史でも進んでほしいですね。
気候や 経済に 注目する! これから の 歴史には 大切だと 思います‼︎
ふと寒冷化の話題でゲルマン人の大移動もフン族に圧迫されたことによることを思い出しました。
曹操VS袁紹で川が凍って船が通れなくなった話、寒さに強い遊牧民を味方につけた曹操軍が一歩抜きんでたり、凍った川面を騎馬隊が駆け抜けたり(不十分な時には葦もってくる工夫もしたり)と、北族の大活躍と寒冷化が無縁でなかったことが見て取れます。個人的には、曹魏の屯田制にのっかって農耕にかじを切った北族が現れたことにも注目したいです。あと黄河凍結イベント、光栄三国志でもとりあげられないか楽しみですね。
曹操の氷城の計が絶対出ると予想したが、大外れ(-_-;)でも黄河の氷割りの話は良かったです。三国志の寒冷化は、他地域の自然現象が絡んでるという説を聞いたような気がします。
大変興味深かったです。また楽しみにしています。
寒冷期は炭素14やベリリウム10等を調べる方法もあります。寒冷期にはこれらの同位体の量が増加する傾向があります。もう一つの方法は木の年輪を調べるですね。私が知ってる寒冷期は17世紀の寒冷期です。明が反乱軍によって滅ぼされた頃で、この時期の放射性同位体と調べると核実験は行われてないはずなのに、同位体の量が多くなってたと聞いてます。ただし、3~4世紀の寒冷期についての状況は知りませんが。木の年輪を調べると年輪の間隔が狭くなってたので寒かったようです。
学問って区切られているけど、それは想像上の区切りであって、本当は全てのことって繋がっているんだなぁと再確認させてもらえる動画でした!いつもと違う視点のヒエヒエ中国史最高でした!ありがとうございます!曹操礼賛で荒ぶる魔理沙が可愛すぎた😍
こんなに楽しく・分かり易く、歴史と寒冷化について解説していただけるとは…感謝感激です♪また、ついつい時期的にカブる邪馬台国や大和王権の成立など、いまだ解明されていない日本の歴史の黎明期についての研究に何かしらヒントになるようなことは無いのかしら?という観点でも観てしまいました。
気温もそうですけど、気候も面白いですよね。中国の領域って気候の変動激しいからすぐに飢饉になるとか言ってたのは、このチャンネルでしたっけ?
2000年前の人が環境変化に適応してるのだから我々も温暖化に対応してかなきゃ駄目ですな
その意気や良し!とはいえ地球は寒冷化と温暖化を繰り返すものでありつつも、現代の温暖化速度は異常だという話をどっかで聞いたような曖昧な記憶。
コーヒー飲みながら油断して見てたら闔閭で吹きました
古気象と歴史のクロスオーバーするところ 好き
葦は使いこなせば船にも浮島住居にもなるけれどそうか、水で氷を慣らす術と合わせれば渡河にも使えるわけだ...
素朴な疑問なんですが、水に塩を入れると氷点は上がるのではなく下がるのではなかったでしょうか??
横山か吉川英治の三国志の演技に書いてありましたが曹操が馬超との戦いで土塁に水をかけて凍らせて即興の城を作ったような内容がありましたね。正史に書いてあるか、本当の事なのかはわからないですが寒いと言うのは本当だったんでしょうね。
民族の移動や動乱と、気候変動は切っても切れない関係ですね
寒冷化と遊牧民の南下の関係性なかなか面白かったです。
ありがとうございます!
ご支援いただき、まこと感謝感激でございます~!!温かいお心遣い、いつも本当に励みになっております!!
面白かったですよ
食べるということは一番大事だから食べ物をめぐっての争いは避けられないよね。今は実は寒冷化に向かってると聞いたことあるけどどんななんだろうか?
三国志演義で、曹操が馬超との戦いで氷の城を建てたエピソードを思い出しました。この時代ならあり得そうですね
論文が動画になる時代と思わせてくれる動画でした
一番恐ろしいのは、三国志から五胡十六国後期にかけて、モンゴル高原北部(漠北)の遊牧民についての記録がマジで全然ないことなんだよな北匈奴弱すぎん?(史書にも寒冷化で被害の記録多いし鮮卑台頭前から相当弱ってたのか)→鮮卑あっさり領土広げすぎじゃね?漠北のトルコ系(丁零とか)にいつ勝ったん?→分裂した鮮卑なんで南の部しか記録ないん?→宇文部が慕容部によって壊滅し一部は漠北まで敗走した(漠北に現地勢力はいないの?)→柔然突然なんでこんな領土広げてんの?いつ漠北の勢力に勝ったん?(無人地帯化してた漠北が温暖化で遊牧可能になりフロンティアに柔然人が進出したのか)
寒冷期になると、どこも戦乱期に突入するなぁ。
同時代、倭国に於いては大乱がおき、共立の女王として卑弥呼が立った。成る程、大乱の原因は、気候変動の可能性があったのだな。
曹操は馬超との戦いでも「氷城の計」を用いている。渭水で戦った曹操軍は、周辺の地質の悪さに加え、馬超軍の度重なる攻撃に会い、砦をなかなか築けなかったが、未完成の砦に水をかけておいて夜が明けるころに凍らせて完成させている。それにしても、黄河が凍るとはどんな寒さだろう。氷点下5、6℃程度ではないことは想像がつくが。
倭国大乱とかパックスロマーナが終わってコンモドゥスとかカラカラとかエラガバルスみたいなちょっとアレな皇帝が続いてローマの屋台骨が揺らぐのがこの時期と考えたら面白い
11:11 「闔閭に入れる」って古事成語ができそう。この人孫武、伍子胥レベルの超有能ですよといって人を推薦する、みたいな意味で。
魏晋南北朝時代に江南開発が進んだのも寒冷化による影響かな?長引く戦乱を逃れて江南にという認識だったけど。
温暖な季節でも中国史はヒエ~ばかり定期
日本でも「倭国大乱」と言われていた時代ですからね。
面白かった!
旱魃や豪雨以上に、より広域的に長期的な影響を及ぼす天災が社会にどんな変動をもたらし、それに政治はどう対処した(できなかった)のか、の人類史っすね
Thanks!
ご支援いただき、有り難きことこの上ありません!!いつもお力いただいております……!!
今から10年以上前に冬の北京に行ったことがあり、紫禁城の堀の水や便器にたまった水が凍っているのを見て華北の冬は厳しいなあと感じた次第。寒冷化した社会であればもっと大変だったのだろう。
勉強になりました。寒冷期せっかく育てあげた穀物を蝗害でトノサマバッタが食べつくしていたのですから、より致命的だったのでしょうね。
「塩分で氷点が上がった」は逆のはず... 「凝固点降下」って用語があるぐらいなので
日本の戦国時代も寒冷化真っ只中だったそうで。寒冷化で食料が足りなくなればよそから奪うしか無くなり、そこに様々な思惑も絡んで戦乱の世が生まれてしまう。温暖化温暖化騒いでいるけど、寒冷化の方が余程恐ろしい。
アカデミック中国史回だ😎
醤を作る時期で混乱してしまうけれど、黄河が凍るかどうかを基準にすれば人類が一番幸福だった時期は今よりずっと温暖だったわけで、温暖化防止に血道を上げなくてもよくね?と思ったりしますね。
三国〜五胡〜南北朝時代を題材にした華流ドラマで冬以外でも白い息を吐きながら薄着で寒さに震えているのは史実再現だったんだなー(遠い目)
諸葛亮いわく「さむさでおおくのへいがしぬでしょう」光栄初代三國志のこの有名なセリフが示す冬場の移動での兵2割減という鬼畜仕様が史実に近いものであったとは・・・
魏晋南北朝時代は寒冷化が原因で群雄割拠の戦国乱世になってしまったという話を聞いた事はありましたが、なぜ寒冷化が起こっていた事がわかったのか、文献とかからでわかるのだろうか、という疑問が少し解けました。発酵食品である醤を作り始める時期から気候の変化がどんな感じに推移していったのか推測できるんですね。その発想は無かったです。最近は寒冷化などの環境にも絡めて歴史考察・解釈を行うようになりましたね。その内、14世紀~19世紀(元王朝末期~清王朝後半期)の小氷期についても少しずつでいいのでやって欲しいです。
三国時代に人口減少のピークがきてるのも、戦争の長期化以上にやっぱり寒冷化の影響力が大きいんでしょうね
今までの中で一番面白いかも
「蒼天はすでに死す」は寒冷化に対する当時の宗教的解釈と見るべきかもしれませんね
ローマ「冷えてるか~?」
中華「バッチェ冷えてますよ~」
@user-qx5fr9co1k中華「あっそうだ(唐突)、オイ匈奴!お前さっき俺らが内乱してるときチラチラ見てただろ(因縁)」
一月の北京に行ったことがあります。今の冬の華北でもすごく寒いのに、この頃の冬はとんでもない寒さで人がバタバタ死んでいったんでしょうねえ
歴史を考察するときに政治・国際関係・戦役・人物が表に出やすいけど、経済や地理が背景にあるわけで.
農業が生産の中心であった古代・中世では、寒冷化→食料生産の低下→飢餓の発生→流民の発生だから重要なテーマだよね。
逆にいえば、食わせてやれる群雄が生き残ったともいえる.孫呉と南朝で南方開発が進んだのもこの時代か。
歴史が動くきっかけは、やはり「おい、飯ないぞ。」は共通項。
じゃりン子チエ、不幸の法則、ひもじい、寒い、もう死にたい。
死ぬくらいなら戦おう、人間考える事は同じやなぁと思って視聴してました。
面白かったです。
繊維質のものを混ぜて氷を作るとパイクリートという溶けにくく固い氷になるそうですよ
身近なもので言うとあずきバーがそれだとか
その時代の気温などの環境って教科書的なものには詳しく載ってないので…
こういった情報があるとその時代や人の行動の原因が理解しやすくなるので助かります🙏
日本も戦国時代は寒冷だったと言われているよ。気候のほかに人口もあまり言われていないが注目している。ローマと漢は人口5000万とか、日本だと縄文30万、奈良300万、江戸3000万…(よく政府が「日本は初の人口減少」とかいうが正確には3度目(初回平安、2回目江戸末期))とか面白い。
江戸時代も、夏に雪降ったような記録すらあるとか聞きますね。
これまでも載ってなかったわけではないんだけど(ゲルマン人の大移動、17世紀の危機など)、これからの教科書は特に重視されるでしょうね。
明の滅亡(1644)と寛永の大飢饉(1642-3)が同時期なのは寒冷化のためで連動しているんですよ、みたいな。
洋の東西で古代文明が同時期に危機に至ったというのは面白いですね。三国時代の人口の大激減も戦乱だけでなくやはりかなり寒冷化に負うことが大きかったのでしょうか。
何度か訪れた寒冷期は世界史を大きく動かしますよね。中国史においての事例を紹介してくださってありがとうございました。ただ飢饉が起きたなどではなく、その環境で人々がどう工夫し寒冷化に対応していったかのお話はとっても面白かったです!
理系で環境学も勉強している身ですが、(毎回鳥人間さんの勉強量には頭が下がりますが)今回は特にいろいろな示唆をいただいたと思います。
元来漢文は得意でしたが、魏晋南北朝期の気候変動について、さらに調べてみようと思いました
本当にありがとうございます
次は石勒お願いします
普通に学術論文か書籍出せそうなテーマでおもしろかった(小浪)
飯回とか塩回といった人物じゃない中国史大好きなので
このシリーズ調べるの大変だろうけどもっと続いて!
もう既にそういう研究 論文は中国にあったりして
だからこそ鳥人間さんの動画を見ることができるのではと思う
有料コンテンツに相応しい、マニアックでありながら学びの多い動画でした。
是非シリーズ化希望です。
この頃ローマの方ではゲルマン民族の大移動でしたよね、やはり繋がってるんだなぁ。
コーエーの三国志無印では、比較的暖かい交州でも冬場に武将とともに兵士を移動させると兵士が死んで兵員が減少した。
コミュニティ入ってよかったと思える素晴らしい回でした
曹操はずっと兵糧不足に悩まされている印象ありましたが、絶対的に食糧生産力不足していたんだろうなあ、と
卑弥呼が出る前の日本が荒れていたのも気候が一因だったりと想像しています
いつも質の高い動画をありがとうございます。楽しく拝見しております。
以前、TVで、三国志の「蒼天~黄天~」について、当時NZの火山噴火が原因で実際に中国の空が黄色かった、という気象学者のお話を聞いて、感動しました。
それ以降、天災・気候変動の観点からの歴史解説があるともっと楽しそう、と常々思っておりましたので、今回のテーマはとても興味深く拝見いたしました。もし他にもあれば、また紹介していただけると嬉しいです。
酒とか味噌の仕込みが何故冬なのか。ここで見られるとは思わなかった。
温暖化が進みつつある昨今、正反対とも見える動画だけれど、学べる事は少なくない筈。
今回も身の詰まった動画に学ばせて頂きました。
個別の人物伝ではない内容ですが、かえって市井の人間の生の生活が見えてくるようで非常に興味深く拝見しました。とても面白かったです。
何か×中国史 という多様化の試みに参加できて光栄です!
今回の内容もとても楽しかったです!
今後もX中国史に期待しております!
同じ食品の製造時期で気温の差異が推測できるっていうのは面白いな。
日本でも弥生中〜和時代は『寒冷化で自然の食料が少なくなくなり(大型の動物が減ったり絶滅し)、自活する手段が必要になった。』
『海岸線が大幅に後退し、低湿地や平野が広がったことで、水田稲作の環境が整った。』
などで農耕が広まったという話があるようなので、食糧事情は太古 から人類を動かしますね。
面白かった。1つの視点から広い地域長い期間を見る。この試みはありというか素晴らしいと思います。いつかは食、
特に調味料や味付けの変遷。
人々の髪型服装などの変遷。
日本の丁髷に並ぶ世界の奇想ヘアスタイルである弁髪と髭や女性のスタイルについても見たいす。まあお願いはしつつま本年又密着追走麗美丈夫
漢末魏晋南北朝初心者にありがたや。この時代、いろんなアプローチできて面白いですね
実に興味深いテーマでした。魏に比べ、面積・人口で大きく劣っていたはずの呉や蜀が魏に対抗出来たのは、自然の要害に守られた地勢であったことに加え、比較的寒冷化の影響が少なく、経済的に対抗出来ていたからなのでは、という推察もできますね。黄河に対して、長江には凍結の記録はなかったですよね。
三国志、曹操、ヒエヒエと言えば氷城とか冷食禁止令が思い浮かぶ。
この観点からは注目です。今も昔も世の乱れは食から
中国の人口史動画とも照らし合わせるとより面白いですね
おそらくは先行する後漢の時代から既に寒冷化に伴う生産力の低下がみられていたのでしょうが
南方の生産力のウェイトが高まっていく契機でもあったのでしょうね
紙が一般人の手に届くようになってきたのもこの寒冷化が終わった後ですよね。(安いとは言いませんが)
寒冷化→不安定化→知識層が育たない→紙の需要も上がらないみたいな玉突き事故があったりしたんでしょうかね?
こんばんは。やっぱサッカー好きな鳥人間さん、今日はロドリで来ましたか。U16ユース時代からずっとスペイン代表ですね。まさにスペインのエースだな。
そう言えば三国志関連の書物にはやたらと凶作って出てくるよね。ほぼ冷害による飢饉だけど。やっぱ気候的に厳しい時代だったんだなと。
うん、やっぱ人間って対応力があるもんだね。寒いなら寒いでなんとかしようとするもんね。昔の人はホントすごいね。
振り返れば日本も平安時代初期は温暖だったけど平安終わりあたりから寒くなって明治の始めまで寒かったらしいね。気候だけは人間の力ではどうにもなりませんな。
アシで氷橋を作るってなんか聞いたことあるなぁ、と思ったらあれだ金田一少年だ……
スガバシっすね。
30年くらい前の作品とはいえトリックネタバレで藁
夜叉のやつだっけ?
金田一は縄じゃなかった?
な、懐かしい😂
環境から人間の歴史を見るのは凄く興味深いです!!
人間が争うには必ず火種があるもんですし、
人間じゃどうしようもない自然の変異が人間の行動にどう影響して戦乱へ掻き立てるのかという視点は人間の脆弱さを顕にしますね
非常に良いテーマでした❣
茂木誠先生の『ジオ・ヒストリア 世界史上の偶然は、地球規模の必然だった!』を読んでいますが、環境の変化が世界史にどういう影響を与えたのか?を考えると非常に学びも深まりますね!
寒さには頑張って工夫しないといけないから北方の民族は強くなったんですね。
南方はうまくすると農耕すらしなくても集落の周りの森で全部採集できる。
気候
ゲルマン民族大移動や倭国大乱も寒冷化がもたらしたものなんだろうなぁと、ここの視聴者はみんな思ってるか
にしても曹操、誰だったかがいってたけど
曹操の逸話や伝承は人として優しさや情の厚さが端々に見えてくる
これは並び評される劉備や孫一族にはあまり見られないことだ、とか
うっかり戻ってきた住民に怒り以上の可笑しみを感じ、なんか理由付けして助けてやろうとしたんだろうなぁ
麦畑にうっかり不法侵入のやらかしをした時は、ちゃんと自分が立憲した事と魏の君主本人なので死ねないのを分かりきった上で、死同等の重さの髻切りの刑を自分に科す位には筋通してますからね。
曹操は徐州民大虐殺をやってしまったのが当時相当インパクトあったそうで、それが後の悪評につながってますね。
劉備も結構人情的なエピソードも多いと思う。記述の少ない蜀なのに結構出てくる。
特定のテーマでの深掘りはいいですね。歴史上の事象の背景や意義の考察に参加できる。味があります。
モンゴル帝国の騎兵たちも凍った川の上を移動したけど、都市もだいたい川沿いに作られるので速度が異常に速いんですよね
温暖化も寒冷化も、それ以前の気候で生活を営んでいた人々にとってはとんでもない問題ですよね。
曹操軍のアドバンテージに、寒冷慣れしていた北方異民族を多く取り込んでいたからということもあるというのには、膝を打ちました。
暖地育ちの母方の祖父が中国東北部の冬の死の彷徨から無事生還したのは、部下さん全員が寒冷豪雪地で徴兵編成された部隊だった・そして退却時(おそらく敗北壊走に近い頃と思われ)には祖父は全面的に部下さんの指示に従って下がってきたからだと聞いておりますし…。
暖地育ちの父方の祖父母しかも3人の子連れが満州から白頭山の麓を抜け徒歩で釜山まで(地図で見るとすごい距離。当時3歳の父が端渓の硯と蟋蟀の虫籠背負って歩き通したとは信じられん)着いて引揚船に乗れたのも、中朝国境付近出身の使用人のおばあさんがソウルの南あたりまで同行して助けてくれたかららしいですし…。
慣れから身についた生活の知恵というのは、本当にアドバンテージだなと思います。
さりげなく曹操礼賛してくれるのいいゾ〜これ
メチャクチャ面白かったです。
歴史と分子生物学や遺伝学、物理学、気象学、地学など、学際的なところは、網羅的な知識が必要とされるので、論を打ち立てるのは大変ですが、どれも大変面白いものです。
うおおおお氷橋!!うおおおおおお!!
冷え冷えがテーマなら最初のダジャレは氷結界の龍 鳥シューラ人間とかにして欲しかったなぁw
発酵食品からこうきますか、面白かったです
発酵食品を 作る時期にまで 注目する なんて 神すぎる!
やっぱり大寒期になると大戦乱になるんですね。日本の戦国時代も寒冷期が最大の原因だったと漫画「センゴク桶狭間戦記」で知りましたし、フランス革命も火山噴火による地球規模の寒波が影響してるそうですし。
これすっごい興味深くて面白かった。素人じゃわからないもんなぁ。凄いや
とても興味深い史実を共有頂き、誠に有難うございます。
租庸調の調において布・絹などを税として取り扱っていた背景も寒冷化があったのではないかと思いますし、自分の中で色々なことが繋がる動画でした。
人物史は飽きてきたのでこのような社会史、環境史は新しくて面白いです。
これだけ北方の寒冷地での戦いが過酷でそれに対応する戦いをしてきた軍勢が南方で戦うのは我々が想像している以上に大変だったんだろうと改めて思いました。
東晋が割と長く命脈を保っていられたのはそうした事情もあったのだろうなと。
陸続きの国ではヴェトナムだけがモンゴル帝国に勝ったのと同じ理由ですよね。米軍も勝てなかった湿地ジャングルでのゲリラ戦略で。
秀吉の朝鮮出兵では九州の兵を極寒の朝鮮半島に送り込んでるし。三人に一人は生きて帰れず。
凍った 黄河に 苦戦する 曹操と、葦で 氷を作る 騎馬民族の 対比は 秀逸!
魏晋南北朝時代つながりで「中国史を変えた戦い」かつ「なんでこうなった大賞・戦部門」トップ5入りしそうな「淝水の戦い」をぜひ取り上げてほしいです。以前の動画だと単体か謝玄と一緒に紹介する~とおっしゃっていて、駆け足で終わってしまったので…
よろしくお願い致します。
こういうテーマは出来事を多面的に見なければいけないので、制作が大変だと思いますが、とても面白かったです。UPありがとうございます。
後漢末期って寒冷期だったんですね~。
だから冬に兵を移動するとやたら減るのか(三国志脳)。
遊牧民の動きも含め、気候も含めてみると面白いですね!
〇〇曰く「寒さで多くの兵がタヒぬでしょう」
歴史というのは、政治や軍事で動くと考えがちだけど、よくよく見ると自然現象の影響も大きいんですよね
そういう話は真新しいし楽しいです
9:00
六世紀はむしろクラカタウ火山の大噴火による地球の寒冷化が始まった時期と聞いていたんですが、河北では寒冷期の終わりになっていたんですね
この差はなんでなんだろう
孫権の呉から始まった南朝の時代は揚子江以南が大いに開拓された。やはり少しでも暖かい地方で農業を拡大しようという動機があった。この時期の耕作地の拡大で揚子江流域は後代中国の穀倉になっている。
さすが曹公、他の群雄とは一味も二味も違いますね。私も曹操が好きです。三国志演義で屯田制?と思っていましたが、寒冷化で流民化した人々を賄える制度を確立出来れば、他の群雄に優位に立てるどころか、圧倒出来ると考える、合理的な思慮深さ、凄いですね。鳥人間様も、寒さに気をつけて下さい。動画面白かったです。
やはりこの混乱の時代は環境変化と無縁ではなかったのですね。
ジャレッドダイヤモンドやピーターフランコパンが自然科学と融合した歴史学を作り出していますが、中国史でも進んでほしいですね。
気候や 経済に 注目する! これから の 歴史には 大切だと 思います‼︎
ふと寒冷化の話題でゲルマン人の大移動もフン族に圧迫されたことによることを思い出しました。
曹操VS袁紹で川が凍って船が通れなくなった話、寒さに強い遊牧民を味方につけた曹操軍が一歩抜きんでたり、凍った川面を騎馬隊が駆け抜けたり(不十分な時には葦もってくる工夫もしたり)と、北族の大活躍と寒冷化が無縁でなかったことが見て取れます。個人的には、曹魏の屯田制にのっかって農耕にかじを切った北族が現れたことにも注目したいです。あと黄河凍結イベント、光栄三国志でもとりあげられないか楽しみですね。
曹操の氷城の計が絶対出ると予想したが、大外れ(-_-;)でも黄河の氷割りの話は良かったです。
三国志の寒冷化は、他地域の自然現象が絡んでるという説を聞いたような気がします。
大変興味深かったです。また楽しみにしています。
寒冷期は炭素14やベリリウム10等を調べる方法もあります。寒冷期にはこれらの同位体の量が増加する傾向があります。
もう一つの方法は木の年輪を調べるですね。
私が知ってる寒冷期は17世紀の寒冷期です。明が反乱軍によって滅ぼされた頃で、この時期の放射性同位体と調べると核実験は行われてないはずなのに、同位体の量が多くなってたと聞いてます。ただし、3~4世紀の寒冷期についての状況は知りませんが。木の年輪を調べると年輪の間隔が狭くなってたので寒かったようです。
学問って区切られているけど、それは想像上の区切りであって、本当は全てのことって繋がっているんだなぁと再確認させてもらえる動画でした!いつもと違う視点のヒエヒエ中国史最高でした!ありがとうございます!曹操礼賛で荒ぶる魔理沙が可愛すぎた😍
こんなに楽しく・分かり易く、歴史と寒冷化について解説していただけるとは…感謝感激です♪
また、ついつい時期的にカブる邪馬台国や大和王権の成立など、いまだ解明されていない日本の歴史の黎明期についての研究に何かしらヒントになるようなことは無いのかしら?という観点でも観てしまいました。
気温もそうですけど、気候も面白いですよね。
中国の領域って気候の変動激しいからすぐに飢饉になるとか言ってたのは、このチャンネルでしたっけ?
2000年前の人が環境変化に適応してるのだから我々も温暖化に対応してかなきゃ駄目ですな
その意気や良し!
とはいえ地球は寒冷化と温暖化を繰り返すものでありつつも、現代の温暖化速度は異常だという話をどっかで聞いたような曖昧な記憶。
コーヒー飲みながら油断して見てたら闔閭で吹きました
古気象と歴史のクロスオーバーするところ 好き
葦は使いこなせば船にも浮島住居にもなるけれど
そうか、水で氷を慣らす術と合わせれば渡河にも使えるわけだ...
素朴な疑問なんですが、水に塩を入れると氷点は上がるのではなく下がるのではなかったでしょうか??
横山か吉川英治の三国志の演技に書いてありましたが曹操が馬超との戦いで
土塁に水をかけて凍らせて即興の城を作ったような内容がありましたね。
正史に書いてあるか、本当の事なのかはわからないですが寒いと言うのは本当だったんでしょうね。
民族の移動や動乱と、気候変動は切っても切れない関係ですね
寒冷化と遊牧民の南下の関係性なかなか面白かったです。
ありがとうございます!
ご支援いただき、まこと感謝感激でございます~!!
温かいお心遣い、いつも本当に励みになっております!!
面白かったですよ
食べるということは一番大事だから食べ物をめぐっての争いは避けられないよね。今は実は寒冷化に向かってると聞いたことあるけどどんななんだろうか?
三国志演義で、曹操が馬超との戦いで氷の城を建てたエピソードを思い出しました。
この時代ならあり得そうですね
論文が動画になる時代と思わせてくれる動画でした
一番恐ろしいのは、三国志から五胡十六国後期にかけて、モンゴル高原北部(漠北)の遊牧民についての記録がマジで全然ないことなんだよな
北匈奴弱すぎん?(史書にも寒冷化で被害の記録多いし鮮卑台頭前から相当弱ってたのか)→鮮卑あっさり領土広げすぎじゃね?漠北のトルコ系(丁零とか)にいつ勝ったん?→分裂した鮮卑なんで南の部しか記録ないん?→宇文部が慕容部によって壊滅し一部は漠北まで敗走した(漠北に現地勢力はいないの?)→柔然突然なんでこんな領土広げてんの?いつ漠北の勢力に勝ったん?(無人地帯化してた漠北が温暖化で遊牧可能になりフロンティアに柔然人が進出したのか)
寒冷期になると、どこも戦乱期に突入するなぁ。
同時代、倭国に於いては大乱がおき、共立の女王として卑弥呼が立った。成る程、大乱の原因は、気候変動の可能性があったのだな。
曹操は馬超との戦いでも「氷城の計」を用いている。渭水で戦った曹操軍は、周辺の地質の悪さに加え、馬超軍の度重なる攻撃に会い、砦をなかなか築けなかったが、未完成の砦に水をかけておいて夜が明けるころに凍らせて完成させている。それにしても、黄河が凍るとはどんな寒さだろう。氷点下5、6℃程度ではないことは想像がつくが。
倭国大乱とかパックスロマーナが終わってコンモドゥスとかカラカラとかエラガバルスみたいなちょっとアレな皇帝が続いてローマの屋台骨が揺らぐのがこの時期と考えたら面白い
11:11 「闔閭に入れる」って古事成語ができそう。この人孫武、伍子胥レベルの超有能ですよといって人を推薦する、みたいな意味で。
魏晋南北朝時代に江南開発が進んだのも
寒冷化による影響かな?
長引く戦乱を逃れて江南にという認識だったけど。
温暖な季節でも中国史はヒエ~ばかり定期
日本でも「倭国大乱」と言われていた時代ですからね。
面白かった!
旱魃や豪雨以上に、より広域的に長期的な影響を及ぼす天災が社会にどんな変動をもたらし、それに政治はどう対処した(できなかった)のか、の人類史っすね
Thanks!
ご支援いただき、有り難きことこの上ありません!!
いつもお力いただいております……!!
今から10年以上前に冬の北京に行ったことがあり、
紫禁城の堀の水や便器にたまった水が凍っているのを見て華北の冬は厳しいなあと感じた次第。
寒冷化した社会であればもっと大変だったのだろう。
勉強になりました。寒冷期せっかく育てあげた穀物を蝗害でトノサマバッタが食べつくしていたのですから、より致命的だったのでしょうね。
「塩分で氷点が上がった」は逆のはず... 「凝固点降下」って用語があるぐらいなので
日本の戦国時代も寒冷化真っ只中だったそうで。
寒冷化で食料が足りなくなればよそから奪うしか無くなり、
そこに様々な思惑も絡んで戦乱の世が生まれてしまう。
温暖化温暖化騒いでいるけど、寒冷化の方が余程恐ろしい。
アカデミック中国史回だ😎
醤を作る時期で混乱してしまうけれど、黄河が凍るかどうかを基準にすれば人類が一番幸福だった時期は今よりずっと温暖だったわけで、温暖化防止に血道を上げなくてもよくね?と思ったりしますね。
三国〜五胡〜南北朝時代を題材にした華流ドラマで冬以外でも白い息を吐きながら薄着で寒さに震えているのは史実再現だったんだなー(遠い目)
諸葛亮いわく「さむさでおおくのへいがしぬでしょう」
光栄初代三國志のこの有名なセリフが示す冬場の移動での兵2割減という鬼畜仕様が史実に近いものであったとは・・・
魏晋南北朝時代は寒冷化が原因で群雄割拠の戦国乱世になってしまったという話を聞いた事はありましたが、なぜ寒冷化が起こっていた事がわかったのか、文献とかからでわかるのだろうか、という疑問が少し解けました。発酵食品である醤を作り始める時期から気候の変化がどんな感じに推移していったのか推測できるんですね。その発想は無かったです。
最近は寒冷化などの環境にも絡めて歴史考察・解釈を行うようになりましたね。その内、14世紀~19世紀(元王朝末期~清王朝後半期)の小氷期についても少しずつでいいのでやって欲しいです。
三国時代に人口減少のピークがきてるのも、戦争の長期化以上にやっぱり寒冷化の影響力が大きいんでしょうね
今までの中で一番面白いかも